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善意で舗装された道をゆく

舗装された道はとても歩きやすい どこに続いているのかは知らない

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頭の良さと集中力

頭の良さってどういうことだろう。

 

俺は人と会話していると言われる事が多い。
「頭の回転が早いですよね。 (そしてかっこいいですね ←心の声)」

ちなみに他人の心の声が聞こえてしまうのは俺の幼少の頃からの特殊な能力の1つだ。

そんなことはどうでもよくて、実際俺は他人よりちょっとだけ頭の回転が速い自覚はある。「なんでこいつら、こんなにチンタラ話すんだろう」と思うことが多い。「それさっきから話が進んでねーじゃん、今晩なに食おうかな」とか「そんな事皆まで言わなくても分かるだろ、昨日の秘書モノは良かったな」とかが頭の中をそこそこのスピードで走り回っている。相手が話そうとしてる話の結論を先読みしすぎて驚かれる。仕事の飲み込みや勘が良いと言われる。初めての事でもコツをつかむ早さや、空気を読むスピードには自信がある。


ただね、いかんせん集中力がない。ほんとに無い。1つのことを黙々と追うことができない。常に思考がぐるんぐるんと巡っていて、そしてちょっとしたキッカケですぐに脱線する。俺にもうちょっと集中力があれば、大学受験もうまくいって主席で卒業し超大企業を “へて” 政界に進出し今頃世界を牛耳っていたに違いないのである。

しかし少し集中力が足りなかったばっかりにそうはなっておらず、今この貧乏臭い文章をモスバーガー食いながら書いている。モスバーガーは電源席があるから居心地が良い。モスバーガーの食い方は難しいけど、上の下の方をこっちに向けて360度回転しひっくり返すとうまく食える。いやそんなことはどうでもいい。頭の回転はそこそこ速いのに、集中力が無いために意識が分散し1つのミッションに対して高い効果を得られない。それがつまり俺は “たいして頭が良くない” という結果になっているのが悔しい。

というかさ。

頭の回転が早かったら、思考のチャンネルがぐるんぐるん物凄い勢いで回っていて、だから周囲の様々なものに意識が飛んで行く。それは当然の事なんじゃないかと思うんである。物凄い勢いで演算し並列でも処理をこなすCPUみたいなもんで、そりゃいろいろな事を同時に考える、考えようとする。
しかしその為、実際に処理スピードは早いはずなのに大したパフォーマンスが得られない。そのエネルギーを一点に集中できないために “そこそこの必要な成果と、あまり関係のない必要でない成果” を得て終わる。つまり “効率が悪い”。

まあそれも妖怪のせいであることは明白なのだが、なんだかんだいってうちの子はポケモンから離れようとしない。ポケモンの圧倒的カタログ数は、吸収したくて疼きまくりの息子の脳を刺激して止まないのだと思う。その点、妖怪ウォッチはまだまだヌルい。
ポケモンには十分な時間を “へて”いる重みがある。 

いや、そんな話がしたいのではない。

 

しかしながら、世の中のいわゆる “頭のいい人” というのは総じて極めて高い集中力を持っている人が多い(ように見受けられる)。集中力が高いから受験勉強に没頭できて成功し良い大学に入る。集中力が高いから物事を深く考察し、素晴らしい論考をする。脇道に反れず1つの処理、1つのミッションに対して高い効果を得てうまくいく。つまり “効率が良い”。 

というかむしろ、頭の回転の速さなど関係なく集中力の高さこそが頭の良さ、能力の高さなのだろうか。

 “集中力が高い”というのは俺のイメージでは “そのルートを進んでいると無数に現れる分岐点、それらをいっさい無視できる能力”  なのではないかと思っているのだが、そもそもそのイメージが違うのだろうか。

なぜそんなことが可能なのか。集中力が高い人はなぜ意識が他に飛ばないのか。周りに何かあったらそれについて考え始めたり想像し始めたりしないでいられるのはなぜなのか。
むしろ逆に集中力の高い人は頭の回転があまり早くない、という可能性もあるのだろうか。

モスバーガーうまい。となりの席の、愛人と旅行計画を立てているBBAがうるさい。