善意で舗装された道をゆく

舗装された道はとても歩きやすい どこに続いているのかは知らない

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【ポケモンGOヤバい】子供にスマホ持たせてる親はほんとに注意しろ

ポケモンGOを小学1年生の息子と1日中やってみた。
もうね、めちゃクソおもしれーの。これこそ未来のゲームのあるべき姿だと思ったね。ほんとに。感動した。

うちは子供にスマホゲーも3DSもまだ持たせてない。その理由は、俺自身が元超絶ゲーマーだったからゲームの良い面も悪い面も知っているということにある。
特にいまの時代のどこでもできる携帯ゲームは際限がなくなってしまうので親がコントロールしてやらなきゃダメだと思ってる。
そして息子の今の時期は、ゲームの画面よりひたすら本を読むべきだと考えているから与えていない。幸い、着々と読書家に育っていて本が大好きになって学校の図書館と地域の図書館からダブルでどっさり借りてきてひたすら読んでる。しめしめ。

そんな、“ちょっとゲームをガマンしてる時期” だからこそ、なおさら息子と2人して大興奮。まじで楽しい!
やってるときに他の同じように親子でやってる見ず知らずの人たちと何度も会話した。これってほんと凄いことだよね。

しかしながらやってみて感じたのは、
絶対夢中になりすぎるから、本当に危険だと思うこと。
広い公園の中とかだったらいいけど、街中でやるのは本当に危険。
基本は2人組で、片方にスマホ持たせてもう片方は周囲を見て手を引いてナビゲートするくらいじゃないと本当に危ない。
大人でもそうだから、子供なんか本当に危ない。道路にポケモン湧いたら、周りを見ずに走って行きかねない。何度注意しても駄目なタイプの問題だと思う。分かっててもやってしまうだろう。そういうゲームの仕組みだから。

今時は小学生高学年とか中学生でもスマホ持たせてる家もあるんだろうけど、本当にまじで危ないから親は責任を持って注意を促すべき。
街中でやるのは禁止してもいいくらいだと思う。
子供にスマホ持たせてる親は本当に厳重に管理すべき。
事故が起こってからからじゃ遅いぞ。
悲しいことは嫌だから本当に真面目に考えて。
それくらいおもしろいし、同時に危険性をはらんでると思う。

気をつけて。
ちなみにイエローだからよろしく。


おれは増田に書くのを止めるよ。なぁJOJO。

「よーしおれもアフィリエイトで稼いで田舎でトマト作るぞ」


「誰も読みに気やしねえ。なんだこりゃここは無人島かwww めんどくせえやめたくそが」


「あっ、増田はタイムラインぽいからそこに書いてついでに名前も書いちゃえばいんじゃね? おれ天才」


「たまにヒットするけどなんかアホらしいからやめた。やっぱブログでやろ」 ←今ココ


mn3




 

きんみらい

近い未来。

ノートパソコン、スマホタブレットの次は、
ヘッドマウント・ディスプレイ+キーボード+何らかのポインティングデバイスでのコンピューティングスタイルだ。

サングラスの様な形のHMDを使用してパソコンの画面を見る。
パソコンの本体はキーボードの中に収まっている。
ポインティングデバイスは、もしかしたら無線マウスかもしれないし、タッチパッドかもしれないし、何か指輪の様なデバイスかもしれない。おそらくそこが一番発明が必要なところだろう。
ティスプレイがHMDになるのはほぼ確定だと思う。
今はまだアトラクション的な投影装置として注目されている段階だが、もっと日常的に当たり前のように使うディスプレイになると思う。
先日チラ見したサイコパスとかいうアニメでも、日常的にHMDを使ってネットをしてるシーンが出てくるけど、それは正解だと思う。

みんな、サングラスのような形のHMDとキーボードと指輪をセットにしてカバンの中に入れて持ち歩くようになる。
喫茶店に入ったら、ノートパソコンを開くのではなく、まずサングラスを掛けキーボードをテーブルに乗せ、指輪を人差し指にはめる。
指輪は、指の動きを感知しあたかもタッチパッドを操作してるかのように、HMD上のカーソルを動かす。Bluetoothで通信し、リングを親指でクリクリ回すとマウスホイールと同じ動きをする。
サングラス型HMDは、半透過で向こう側が見えるタイプのHMDニコニコ超会議で見た)。画面はキーボードの中のパソコンから何かしらの無線で送られてくる。
せっかくHMDなので、首の動きに合わせて画面がスクロールするかもしれないし、アプリケーションが切り替わるかもしれない。

みんな、ウエアラブルというと常に身につけるようなものばかりに注視してるけど、
その変に未来的なイメージに騙されて、なにも常に装着している必要なんかこれっぽっちもない事を忘れてる。
というか、ウエアラブルという言葉の意味が “常に身につけていなくてはいけない” ものであるという定義なら、そんなものは普及しないと思う。

なんでずっと身につけておく事が前提になってるんだ。別にそんな必要無いじゃないか。邪魔なだけだ。
ツールは使う時だけあればいいんだ。そんなの当たり前の事じゃないか。

グーグルグラスみたいに常に装着したまま歩きまわるんじゃなくて、使う時にその都度装着するサングラス型のHMDでいい。
使う時にノートパソコンを開くように、喫茶店で席に着いたら装着するサングラス型HMDでいいのだ。

スマホタブレットはノートパソコンを駆逐しない。スマホタブレットはノートパソコンの系譜ではないから。
電器店にデスクトップPC売り場は無くなったが、ノートパソコン売り場に沢山の製品がいまだにひしめいているのを見れば一目瞭然だ。
スマホタブレットはノートパソコンの代替にはならなかった。

でも、このHMD+キーボード+ポインティングデバイスのスタイルはノートパソコンを滅ぼす。これはノートパソコンの系譜であり、正統進化だからだ。
ディスプレイがキーボードにくっついている必要などないという部分においてのみ改善されていて、それ以外の使用感はノートパソコンと変わらないからだ。
ちょっと違うとすれば、コントロールに “首” が使える事だろうか。

人間がフィジカルな存在である以上、やはりどうしてもボタンを押したくなる生き物であり、物理的機構を持ったハードの方が使いやすいし結局速いという事が、スマホタブレットを通過して分かった。

これから暫くのあいだ人は、指先で扱う物理的機構を取り戻す時期に入る。

さながらKORG M1辺りのデジタルシンセ黎明期において、デジタルに浮足立った人間がボタンの少なさで勝負した結果、階層の深すぎる誰にとっても使いづらいシンセサイザーとなってしまった反省から、その後あたかもアナログシンセのようなツマミやスライダーへと回帰したJD800へ至ったように。

 

さあ、わかったら誰か早く創るんだ。さっさと作ってくれ。
サングラス型HMD、キーボード一体型PC、指輪型ポインティングデバイス
急げ、時間は無いぞ 俺が生きてるうちに作ってくれ 見てみたい。

 

 

ラミエル好きはインターステラー観ろ

インターステラーがハイパー面白かったので、おれの特異点が膨張して止まんない。

あれこれゴタクは他の人に任せるとして、おれのオススメポインツ。
劇エヴァの “ラミエル” が好きな奴はインターステラー観ろ。 ラミたんを見て「気持ちいい」と感じる人はぜったい観ろ。 ここ最近のSFやロボ映画の中ではダントツに最高でイカしたロボが出てくる。

断言する。
最高だ。
モーションを見ているだけで異常な気持ちのよさ。 ゴールドライタン世代の心を鷲掴みにして離さない美しいフォルム。 歩行モード時のモーションの可愛らしさと、
シリアスな場面でのスタコラサッサモードのカッコ可愛い何とも言えない萌え要素。あれには赤塚不二夫もさぞかし喜んでくれるだろう。

小難しいことはいい。インターステラーのロボを見に行け。 最高にクールで最高に萌える新しいロボキャラ。

ついに、やっと、R2D2と対等に渡り合えるロボが生まれたのだ。

スヌーズ まじ使えない

スヌーズ

あれ何なの? スヌーズ。 あいつ意味あんの? スヌーズ

俺を馬鹿にしてんのか。 そんなもん、根こそぎ止めるに決まってるだろクソが。 俺がそんな何度も鳴らさせる程ヌルい寝方してるとでも思ってんの?

悔しかったら完全に止める手順を踏んで安心して二度寝に入る俺を小馬鹿にするくらいの勢いでおかわり鳴りしてみろっつの。

遅刻すんだろが。役たたずめ。

はてなの中の人たちが俺の承認欲求で飯を食っている

おれたちのはてなブックマークにおける、スマホブラウザ用ページがリニューアルしていた。
スマホブラウザでログインした状態で見ると、左上にお知らせの赤いマークがつく。
自分が書いたぶコメにスターが付くとそれを教えてくれる。

それ以外にもいろいろと頼んでもいないのにお知らせしてくれるのだが、つまるところ
“貴方のアクションに何かしらのレスポンスがありましたよ”
と教えてくれるのだ。
それはつまり、 “俺が誰かに承認された証” であり、そこに表示される数字は俺を生きていても良いとしてくれた “赦し” の数だ。

ブラウザ上に踊るあの紅い点はまさに、 “承認欲求” そのものを具現化したような、俺の毛むくじゃらのハートが求めてやまない承認という甘くスイートで甘美で甘い魅惑の果実であり、全力で “そんなのぜんぜん気にしませんがなにか顔” をしながらも実はいつもまじ気になるんである。
 

今日もスマホはてブを開き腕まくりをし、手斧やうんこを投げる準備をはじめる。
すると左上に例の紅いポッチが煌々と灯っている。
あの赤が目に入ると瞬間的に心がジュワッと濡れるくらいには、パブロフ犬としてはてなにしっかり飼い慣らされているんである。 ワン

「よかった。今日も赦された。ありがとう。」

そんな安堵と感謝の念を抱きながらメニューアイコンをタップする。
そこで俺は驚くべき光景を目の当たりにする。
   

デカデカと表示されるスイーツをあしらったバナー。
ファッションがどうたらとかいうアプリのバナー。
迷子を助けるサービスのバナー。
ナナうんたらとかいう社長がスター気取りの変な会社のバナー…
 

まず、いの一番に目に入る場所、絶対に見逃す人などいない視線のど真ん中に鎮座する “広告” 。
100人が開いたら110人(電車で後ろからコッソリ覗いてる人も含め)がバッチリ見る位置にデカデカと広告が配置されているのだ。
俺にとって生きる意味に等しい、俺の存在を赦してくれるそれらの形跡を確認するために開いた先で、その前にまずデカい広告を強制的に見せられるのである。

俺はこれほどまでに見事で、これほどまでに不愉快な広告を見たことがない。
確かに広告は目につく場所に無くては意味が無い。人々が見たいページ、見たい場所に置いてはじめて広告の意味がある。
しかし、これほど “見たい場所” そのものであり、 “大正解” であり、そして “くっそウザい” 広告を俺は他に知らない。
 

「バァwww ここが見たかったんでしょ?w 分かってんだからw まいどありーwwwWW」
 

あまりにストレートな場所すぎてそう言っているようにしか見えない。
きっと “承認” を求めてタップした、その先に出ることが更に嫌味を助長している。
 

「承認されて良かったでちゅねぇーwwww はい広告も見てねぇwwwwwまいどーwwww」
 

もう確実にそう言っていやがるのである。
ぐぬぬぬ。ちくしょうはてなめ。なめやがって。
 

仕方ない、認めよう。その通りだ。確かに俺はソコが見たかった。
俺がどのように赦されたか認められたか知りたかったんだ。
でもだからといって、それはストレートすぎるじゃないか。そのまますぎるじゃないか。
ユーザーが見たくなる場所を作りそこに広告を設置する、という作業においては100点満点だが、あまりに正解すぎて馬鹿にされ釣られたように感じてしまう。
広告なんて多少なりとも “釣り” であるのは仕方がない。
しかし少しは場所をずらしたり、大きさを調整してそれがメインにならないようにするとか、もっとこうやんわりとボヤかしながらそっとやってくれてもいいのではないか。

あの広告のプギャーwww感はここ最近のネットでは珍しいくらい “すげー腹が立つ” のである。
これだけの心象を与えるのだから広告としては優秀なのかもしれないが、あまりに正解過ぎると100点がマイナス100点にひっくり返ってイメージ逆効果になるっていうWEB界の悪いお手本になって欲しいくらいだ。

あの広告の位置こそがはてなブックマークというサービスの本質をストレートに表している。
そのあまりに “そのまんま” な換金方法が悔しいから、俺もその状況をストレートにタイトルにした。仕返しだ。
 

はてなの中の人たちが俺の承認欲求で飯を食っている  
その飯は美味しいかい?たんとお食べ。俺の奢りだ。

ちくしょう。
 
 

漂流日記

XX月XX日

きょうもだれもこなかった。 まあそれはそうだろうと思う。ここに来る為の道標が何もないからだ。案内や地図でも無い限り、こんな辺境の地へわざわざ来る物好きなどいない。
不思議なものでこの無人島は周囲に隔てるものが何もない、どこへでも繋がっている場所のように見えて、その実どこへも繋がっていない。

まるで人の気配が感じられない。ここら辺には誰もいないのだと俺は思う。誰もいないから、誰も来ない。
聞くところによると “ネットワーク”とかいう電線みたいなものであっちへこっちへ繋がっていて、その複雑な繋がりの様から “WEB”などと呼ばれているそうだが、ウソも大概にしろと思う。そんなのはぜったい真っ赤なウソだ。適当に知ったかしてるヤツが吹いてるだけだろう。
そんなに繋がっているのならこれだけ人の気配が無いのはおかしい。なんでこんなに大きな声で話してるのに誰もこないんだ。おかしいじゃないか。

まあでも実のところ、全く人がいないってわけでも無いっぽいのに俺は気付いた。このまえこの無人島の中を散歩していた時に砂浜を発見したのだ。
そこには古びた看板に消えかかった文字で “アクセ○解○”と書いてあったが、それがこの砂浜の名前らしい。その近くになっていた星のようなカタチの黄色い果物も美味かったから、それを採るついでに砂浜に立ち寄るのが日課になった。
その砂浜には時折、人の足あとらしきものが残っている事がある。初めは俺自身の自分の足あとかと思っていたけど、よく目を凝らしたらどうやら違うようなのだ。
俺以外の誰かがこの無人島に漂着して、そしてまた去っていくのだろうか。不思議なこともあるもんだ。
それを発見してから俺はその足あとの数を数える事にした。奇妙なことに一夜明けるといつも足あとの数が変わっている。いつも黙って帰るところを見るときっとシャイな人ばかり流れ着くのだろうと思う。

“4,2,0,8,0,1,3,0,1,…”

   

俺はいつ救助されるのだろうか。
まあいい、そんなことを気にしたって始まらない。気ままにやろう。
しかし最近、妙に背中の辺りがかゆいな。なんだろう。
さて今日も星のカタチをした果物を採りにいくか。